評価の出来ない日本人: 研究者の評価
国立の研究機関がすべて独立行政法人になった今、ほとんどの研究機関で研究者を論文数、インパクトファクターで評価している。インパクトファクターはその論文が引用された回数が多いほど重要度の高い論文であったということ。雑誌ごとに平均の引用回数を計算し、その引用回数に応じた点数をつける。つまり、雑誌の評価である。この点数が高い雑誌に掲載されるということはその論文の質が高い、と解釈する。これらは論文の評価である。論文の著者は一人ではない。私は論文の著者はせいぜい4人までだと思う。(このように発言したら、ビッグサイエンスの人から抗議が来た。ビッグサイエンスは携わる研究者は多い。誰が第一著者か。確かにこの分野の論文では著者の数が20人以上の論文も多い)。誰がこの論文を書いたのか。ただ名前だけ載っている人もいる。ポーリング博士の伝記によると、彼はその論文の貢献度の順に著者を並べる、という。ファーストオーサー(第一著者)がその論文の第一の責任を持つ。このように研究者を論文数、インパクトファクターで評価する方法はなんでも点数で評価するのが好きなアメリカ的研究者の評価法である。日本はこれを採用している。ヨーロッパは必ずしもこれではない。
論文至上主義は多くの弊害を持つ。論文の盗作、捏造、など。一番多い弊害は論文を書く技術である。本来ならひとつの論文でよい所を2つにも3つにも分割して論文の数を増やす。同じデータを何回も使う、などの水増し論文が横行している。地球規模から見ても紙など資源の無駄使いである。何とかならないものであろうか。
アメリカ的評価方は全て点数で表わす。良い論文を書く人は論文数も多いであろう。良い論文は多くの人に読まれ、引用される回数も多いであろう。これを点数にすれば研究者を評価する事ができる。これは一つの方法ではある。いまや研究者にとって国境はない。いつのまにかアメリカ的研究者の評価法を採用して、研究者は世界の研究所に採用されていく。これの積算が研究所の評価に直結する。しかし研究所の予算は各国で負担している。国民の税金である。この評価法をそのままにしていくと、現在の日本は大変である。それはなぜか。セキュリティが完全に欠如しているからである。特許制度、知的財産権、メールや電話などでの知的財産の流失、などの法的整備が不完全であり、違反があっても政府は的確に実行しない。従って、この評価法により外国人研究者が多くなって(現在、かなり多くなり、日本人の研究者の比率は低下している。研究を補助するのは日本人である)成果は上がっても日本国民の受け取る利益は増加しない。日本はヨーロッパ型の独自の評価法を考えなければならない。ネット社会になって、知的財産の流失を防ぐ努力にもっと国力を使う必要がある。研究所の多くは自分の所から流失があって困るから法を整備するのではなく、国や国民から文句を言われるから仕方なく法を整備する。だから、実際にはほとんど実行されていない。日本の法律の多くはこのような形で立法されている。必要である、という精神がこもっていないから、刑罰を含んだ実行が伴っていない。日本の研究者自身も古き良き時代の研究者から、世知辛い処世術を身につけないと生きていけない時代になってしまったことを念頭に入れておかなければならない時代になってしまったか!!かなしいかなこの世は!!研究所の評価を外国人に頼っていて国益が守れるのか。
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