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2008年12月15日 (月)

大正天皇―読後感

私は自分の思考の中で理解できていないものを読書に求める。「大正天皇は体が弱く、精神的にも異常のところがあった」と兄貴達は言っていた。でも大正時代は「大正民主主義」と言われるほど良かった、という声も耳に入って来る。大正天皇はどんな人だったのか、その時代は?と考えたがあまり良い本がない。そこで見つけたのが原 武史「大正天皇」である。歴史上の人物も人気のない人物の読み物は少ない。足利尊氏、明智光秀、石田三成、などは歴史上の重要な人物であるのに評価され、人物史が少ない代表格ではないか。大正天皇も、明治天皇や昭和天皇が日本の近代史で英雄視されてきたためか、影が薄い。はたして、その実像は本物なのか。そんな俺の疑問にこの本は答えてくれるのか。

大正天皇は病弱で頭もおかしかった、という風評を聞いている。これまでに読んだ昭和天皇の記述では彼は立派であった、ということである。それでは病弱で頭もおかしい人間から立派な人物が生まれるのか。本当に大正天皇の子供か?と思い、大正天皇の本を探した。そして見つけたのがこの本である。著者も言う、「大正天皇は歴史家の中でも問題にされていない、なぜか」と。この本で分かった事。

1.明治天皇までは一夫多妻であった。大正天皇から一夫一妻になった。

2.大正天皇は明治天皇の側室の子である。

3.生まれたときは病弱でよく生き延びた。皇太子時代はほぼ正常であった。全国を回った。韓国にも行った。その行動は民主国家の皇室のようだ。

4.遠眼鏡事件(私は知らなかった)は昭和天皇を持ち上げるために作られた話であろう。

5.天皇になって、忙しさと規制生活で、病弱体質が再現した。

6.牧野伸顕が宮内庁長官になって大正天皇の精神状態の異常が現れた(大正10年以降)がこれは生まれつきである、と発表した(昭和の国民はこの発表を信用した。今上(昭和)天皇が英邁であることを強調するために)。遠眼鏡事件は牧野が創ったのではないか。

7.ソ連に革命が起こり、帝国主義列強は英邁なる君主を必要とした。大正天皇の能力を心配した牧野(を含む勢力)が大正天皇を廃して、皇太子(すでに摂政として天皇を代行していた)を早く天皇としたかった。

8. 明治天皇は人前に姿をあらわさず、現人神として君臨した。大正天皇は人前に姿をあらわし、家族生活を楽しみ、人間として国民の前に現れた。これでは神聖が保てなかったのだろう。

9.大正天皇が生まれつき体が弱く、精神も異常であるとして、大正7,8年にすでに見限り、皇太子を摂政として事実上天皇交代を実現させたのは宮内庁長官になっていた牧野である。後の226事件などでどうも牧野が天皇の覚えめでたく活躍できた(俺の知識では)のはこんな関係で天皇と通じていたのが原因と思われる(これは私見)。

これから読み取れるのは、牧野伸顕宮内庁長官の存在である。彼らが日本の将来を心配して、昭和天皇を作り上げた。その過程で大正天皇は精神異常である、という像を作り上げた。近代日本はそれまで権力の外に会った天皇を権力の中枢に据えた。そうすると中国の王朝政治のようになってくる。非力であったかどうかわからないが、昭和天皇に早く天皇になってもらいたいという勢力が強かったのだろう。日本の近代化のためには必要であったのか???

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