弱者の強みと自業自得:痴漢と体罰
最近、痴漢の罪で訴えられていた教授が最高裁で無罪になった。私は痴漢の場合、半分くらいは冤罪であると思っている。スリは現行犯でないと逮捕できないそうである。それは証拠が難しいからだと思う。痴漢も証拠は難しい。ところが現実は女性が「痴漢だ」といえば捕まってしまう。警察や裁判所は容疑者の主張は受け付けない。「やっていない」という反証はできないのだ。だから、本来は「痴漢だ」という証拠がなければならない。これは被害者と名乗る人の証言だけである。「疑わしきは罰せず」という裁判の原則にも反することが堂々と行われているのだ。これを利用して公務員、教授、一流企業のサラリーマン、など、社会的に恵まれていると称する人を陥れる道具にも使われる。大学教授などは最も狙われやすい。最後に無罪になっても、それまでにテレビなどで報道され、すでに犯人たちの目的は達成されている。しかも、犯人の氏名は公表されない。今回の最高裁判決は非常に有意義であったが、痴漢を訴えた人の氏名が公表されないのは不満である。
体罰に無罪:これも最近の最高裁判決である。私はこれも歓迎する。テレビなどは子供など、いわゆる「弱者」に対して甘い。学校の場で体罰があったかどうかというときは、第三者の機関が中に入り、その事件だけでなく、先生の日ごろの行動と体罰を受けたという子供とその親の行動、を一か月くらい追跡して初めて結論が出せる。今回の場合、子供は日ごろ他人に暴力をふるっていなかったか、親は知っていたか、親は注意していたのか、これについて裁判所ではなく、第三者の機関が調査するべき問題だ。その学校のPTAが無理であれば、学校間でほかの学校のPTAが互いに調査することでもよい。現在は先生による体罰より、そのようなことを訴える親の方に問題がある場合が多いのだ。先生を支持する親はおとなしい人が多い。ところがテレビや新聞は訴える親を、強者(先生)からいじめられる弱者(生徒)を守る正義とみなし、報道する。これによって学校は崩壊する。
安楽死:医師が安楽死させたと言って訴えられる。この問題も訴える側に多くの問題がある。自分にとって何の得にもならないと思われる患者の安楽死を医師が率先してやるとは思えない。痛みに耐えかねて、患者や付添いの親族が、もういいだろう、先生お願いします、と言っていないのだろうか。ところが患者が死んでしまうと、安楽死を頼んだ親族が自責の念に耐えかねてか、または面倒を見てもいない、従って患者が苦しんでいるのを見てもいない親戚が、「なぜ死んだ、医師が安楽死させたのか」と医師を訴える。このような場合が多いのではないか。かくて医師は「それならば、とことん生かしてやる」と植物人間になっても何でも心臓は止めない。お金も、面倒も見るのは大変だ、という関係者の悲鳴が聞こえる。でも、医師は絶対に死なせてくれない、訴えられないために。親族の内なる悲鳴、保険料の不足が国民に降りかかってくる。
自分で責任を足らない。金になるならなんでも法廷に訴える。モラルハザード。
総論賛成。自分は責任を取らない。かくて日本社会は崩壊に向かって突き進んでいる。
そういえば、酔っ払って公園で素っ裸になり、警察に噛みついたタレントが逮捕され、「あれくらいで逮捕とは」「騒ぎすぎだ」と多くのテレビは警察を批判した。これでもか、と連日騒いでいたのはテレビよ、お前ではないか。芸能界は優しいところだ。麻薬だ、酔っ払いだ、と騒がれても1,2年もすれば戻ってくる。公務員、教授、一流企業のサラリーマン、警察など、こんな事件があれば永久に追放される。お笑い芸人に占拠されたテレビ局の実情は哀れむべきかな!!
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