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2009年6月 7日 (日)

足利事件、冤罪、死刑制度:

菅家さんが釈放されて、今後の活動として「冤罪を救う運動」の他に「死刑制度反対」を述べていた。これは「私は冤罪で危うく死刑になるところだった」ということで反対なのか、それともどんな殺人を犯したものでも死刑は反対であるというのか、大きな問題である。自分が本当に犯人でないなら、死刑反対を叫ばなくてもよいではないか。それともまだ何かあるのか。冤罪の可能性を前提にして死刑反対を叫ぶなら本末転倒である。弁護士は加害者を弁護する。被害者、殺された者、を護ってくれる人はいない。現在の制度では、検察や裁判官が刑を決め、執行することでようやく被害者が救われているのである。殺された者に何の落ち度もない場合(因果関係なし)、基本的には死刑が正しい。最近、弁護側はなんでも精神鑑定を要求する。基本的には事件の前に精神異常が医師によって診断されているもの以外は取り上げる必要はない。殺人の時に異常であるのは当然で、異常でなければ殺人行動がその人の常態ということだ。恐ろしいことである。

冤罪はなぜ起きるか?特に死刑を言い渡す場合は冤罪は許されない。確実な証拠がなければならない。足利事件の場合、DNA以外の証拠はなにか。状況証拠だけではだめである。その点ではカレー事件の犯人も残念ながら死刑にしてはいけない。「疑わしきは罰せず」「自白のみの場合は不採用」の原則は守られねばならない。冤罪に関わった検察はほとんど確信犯である。これまで冤罪が確定した事件の検察官の名前を公表すべきである。

もう一度、冤罪はなぜ起きるか?を考えてみよう。すでに一度書いた(8.7.25殺された者の人権を守れ)が、もう一度検察官の評価と公務員制度の問題から見てみよう。

田中森一がその書「反転」の中で書いている。検事の評価は何件起訴できるか、で決まる。彼は強引な方法も使いながら、起訴の件数は抜群であった。起訴の件数を増やすには選挙違反がよい。これが鹿児島における選挙違反の冤罪が仕立て上げられた理由である。検事ならばみんなそんなことを知っている。でも、検事上がりの弁護士、例えばテレビによく出る大沢弁護士(元検事)などは、それでも冤罪検事を含む検事と仕事を弁護する。ある元検事はテレビで検察の落ち度を取り上げたためにテレビ出演はクビになったとか。政治家の起訴についてはほとんどが権力闘争である。鈴木宗男の「汚名」を読めば足利事件の菅家氏が取り調べで受けた状況は非常によく分かる。初めに「鈴木宗男逮捕」があるから、どんな反論を、反証を出しても検察は応じない。殺人事件で犯人も挙げられないのか、との批判に迷宮入りを嫌うために、DNAという説明がついた菅家氏を他の証拠もないまま犯人とした時点で、もはや聞く耳をもたなくなった。もっとひどいのは最近もテレビで特集された神奈川県の女子高校生に対する高校生の性的暴行事件である。犯行日がアリバイなどで崩れると女子高生は犯行日を間違えた、と一週間まえに訂正した。こんなあやふやな証言を検察は採用するのだ。今度はその日は台風で雨であったのに雨に濡れていない。ちょうど犯行現場だけ降っていなかったかもしれない。こんな検察の言い分が通り、最高裁でも刑が確定した。これらの事からも分かるように裁判官もグルだということだ。どうしてこれほど明らかな反証も挙がっているのに無罪にならないのか。しかも最高裁まで。テレビ報道を見た人は、ただ唖然とするのみ。科学者の論争なら明らかに負けているが、権力は科学を上回る。

最近、冤罪事件が多い。検察や裁判所に対する不信感のみ広がる。しかし、これが死刑反対に向ってはならない。もしかして死刑反対論者が冤罪を多数演出して、「だから死刑は危ない」という世論を作り上げようとしているのか。アマノジャク氏は考える。

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