少子化対策は不要である:
少子化対策法案には「少子化の進展は、二十一世紀の国民生活に、深刻かつ多大な影響をもたらす」から対策を立てなければならない、と書いてあるが「深刻かつ多大な影響」とは何かが書いてない。そして対策とは出生率を増加させる環境をそろえようということである。私はここで「深刻かつ多大な影響」とは何かを考え、少子化対策不要論を説く。
戦前は「産めや増やせや」なる政策があった。これは戦争でたくさん死ぬから、兵隊候補生を増産しようとしたものである。太平洋戦争では200万人も死んだそうである。さて、21世紀、同じような戦争の時代が来るのであろうか。誰も望んではいないが、来るかもしれないことは念頭に置かなければならない。しかし、「産めや増やせや」の時代ではない。
世界は富国強兵時代ではない。経済もなんとか理論でGDP万能ではない。これからの社会は何を目指すべきか。日本はどんな社会を目指すべきか。勝手に「日米欧」などと言って日本がECと米国と対等であるかのように国民を教育してきた。日本は国土も似ているイギリスを夢見たか、明治以来張り切りすぎてきたのだ。私はこの国土の面積からして6000万人の人口が快適な社会を形成できると思っている。現在の半分である。なにも少子化対策などする必要はない。少しづつ人口は減少していくことが望ましい。
いま、大騒ぎをしているのは「年金をどうするのか」ということであろう。これから時々日本の未来像を提案していこうと思っているが、年金についてはいつか試案を公表しよう。
少子化対策で子供を増やしても「働かない人」「働けない人」が増えても仕方ない。また、「働く場所も提供できない国」であっては意味がないのである。働く場所さえあれば、60歳以上でも働きたい人はたくさん居る。健康を考え、ボケ防止などを考えれば、ワークシアリングを導入すれば若者でなくても労働人口は十分あるのだ。働く気のない日本の若者を養うためにアジアから労働力を輸入する必要はない。
いま少子化対策として考えられているのは働く女性、幼児教育などに必要なもので、これまでの自民党政権下では無視されてきたものであり、先進国では当然必要な政策である。 人間も動物である。自立できない動物は死にゆくのみ。人間だけが自力で生きることが出来ない仲間も一緒に連れて行く。時には自力で生きることが出来ない人を残して元気なものが先に逝く。 人間の社会は進展しているのか、それとも後退しているのか。良く考えよう。
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