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2019年3月

2019年3月24日 (日)

小林よしのりはバカか???

眞子様の結婚騒動について意見を求められた小林よしのりは、ある週刊誌で「ダメなところのある人を好きになってどこが悪い。皇族だからと言って世間が結婚に反対するのは人権侵害だ」と述べたという。彼は何か勘違いしていないか。

小林よしのりはあれだけの本を書きまくり、常識はわきまえている御仁だろう。ならば権利には義務も付いていることはしっかり認識しているはずだ。眞子様の結婚にだれも反対しているのではない。そのためには義務を果たせと言っている。眞子様に誰でも好きな人と結婚する権利はある。と同じように両親である秋篠宮には逆に反対する権利がある。お互いの権利が衝突したときには一般人の解決方法は、両親は娘を勘当する。娘は夜逃げする(眞子様には失礼な言い方だが、他に良い言葉が浮かばない)。すなわち、経済関係を断絶すればいいことだろう。

小林よしのり氏が眞子様の側に立って、結婚する権利を主張したいならば、夜逃げを勧めるべきだ。夜逃げして両親との関係を断ち、彼の居るアメリカに行って彼と一緒に生計を立てればよい。誰も反対しないであろう。親の言うことに反発して家を出る。自立するということだ。経済的に独立する。それはできないことではない。例え好きな人が無職であっても。

今はSNSの時代である。二人の幸せを願う人は沢山いるだろう。「眞子様夫妻を守る会基金」でも立ち上げてみたらどうか。小林よしのり氏はその理事長に就任したらよい。そうすれば、どこぞの富豪は有り余るお金をバラ撒いているではないか。宇宙旅行に使いたいと言っているではないか。そこから寄付をもらえばよい。でなければその会社に就職させてもらえばよい。自分たちの生計は自分たちで考える。これならば誰も文句を言わないであろう。

生計の成り立たない人と結婚して、その付けを皇室予算、すなわち国民の税金、で払わされてはたまらない。私の周りではみんなそう考えている。国民の皇室に対する信頼が揺らぐことになろう。これまでの経緯を考えれば、小室親子は結婚すれば皇室予算を当てにすることができる、と考えているのではないか。とみんなが危惧しているのだ。だからこそ秋篠宮は世間を(国民を)納得できる条件を作れ、と言っているのだ。

そんなことにも考えが及ばない眞子様なのか、とみんなが心配しているのだ。

小林よしのり先生よ。あなたに良識があるならばそれくらいのことは進言してもいいのではないか。

下々の者は、親と対立したときは経済的な独立を考える。大人になるまでの面倒は見てもらった。これからは独立する。だから俺の人生に口出しするな、と言って離れていく。

皇女は人間であって人間でない。選挙権もないのは国民でないということだろう。その人が国民と同じ権利を主張したいならば、国民としての義務も果たさなければならない。

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず」と言ったという。彼は間違っていた。いや、言葉が足りなかった。天皇は人の上にいたのだ。日本国民は天皇の下に平等の世界を築いてきた国だったのだ。

のではないのかなー

みんなは皇室を慮って、陰でヒソヒソ、本音を話す。メディアも本音はオブラートに包んで話す。日本もここまで成熟した社会を築いてきたのだ。英国王室のように忌憚のない意見を言ってもいいではないか。象徴としての天皇、この努力によって日本の制度は安定しているではないか。

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2019年3月15日 (金)

「献灯使」  なんだこれは!

これが、みんなが読んで理解できる小説かね。価値のある小説なのかね。ネットに著者の多和田葉子とキャンベルの対談が乗っていた。この小説を絶賛していた。また、多くの読書感想があった。みんなこの本が理解できた人だろう。

芸術的才能も、文学的才能もない人間と自覚はしているが、こんなに意味不明の内容も著者の意図も良くわからない小説は初めてだ。未来小説なのか、と言えばそうでもないらしい。情景描写もない。無名とは人名か。体が不自由らしいが、なんでそうなったのかの説明もない。育てている義郎は110歳を越えている。出てくる子供たちはみんな普通の子供ではないらしい。それなら身体不自由児の問題提起なのか。そうでもないらしい。「献灯使」とは何を意味する言葉だ。著者はやたらと漢字が好きらしい。漢字を分解して見せたり、人名にやたらと相応しくない漢字をあてたり(キャラキャラ・ネームのように)。読んでいて腹が立ってきた。「そんな人には呼んでもらわなくて結構です」といいそうな不遜なにおいがする。

キャンベルは読みだしたら面白くて、という。頭のいい人にはわかるのだろう。

昔、高校生の時、A君は壇上でわれわれ生徒の前て何か話をした。哲学的な話だったか文学の話だったか、数学頭の俺にはさっぱりわからなかった。話しぶりも、人を小ばかにしたような話しぶりだった。彼が現役東大合格なのだ。頭のいい奴はこんな話をするのか、と思ったことを思い出した。

原発事故を経験して恐ろしい未来を描いたのか。放射能は怖ろしい、と言いたいのか。そうではない。著者はそんな問題提起をするのでもない。肢体不自由児、介護の問題か、でもない。この本に社会問題性もなさそうだ。では著者は何を訴えるのか。娯楽小説でもない。どこに文学的価値があるのか。

キャンベルとの対談を読んでも著作の目的が全く分からない本だった。

ちなみに講談社の「献灯使」にある短文も私にとっては何も価値のない文章であった。特に「不死の島」は原発事故(近未来?)で日本が沈没し、難民となって中国に助けてもらう、などと、私にとっては反吐の出そうな想定の短文だった。何を考えているのか。この人は日本軽視の人らしい。

ドイツに住むとドイツに比べて日本は???となるのだろうか。クライン孝子という人が居る。戦後処理においてドイツはアデナウアーのもとに近隣諸国と真摯に向き合って関係改善し、欧州で確固たる地位を築いた。それに対して日本はいまだに近隣諸国と戦後処理ができていない、と批評した。私はその意見に異議を申し立てた。「ドイツは宗教的にも政治経済的にも欧州の一員であり価値観を共有するから戦後処理がうまくいったのである。日本の周りには中国・韓国・北朝鮮・ソ連という非民主主義国家があり、価値観の共有ができない国家である。条約を結んでも勝手に破るような国家である。ちなみに他のアジア国家にはそんな反日国家はない。日本の周囲には反日独裁国家、非民主主義国家があるために関係改善ができないのだ。欧州はそんな日本の情勢を理解しない」とクライン孝子さんに反論した。彼女は認めてくれたようだったが、それでその後の彼女の主張に変化があったかどうかは分からない。日本のリベラル層は、特に外国在住者は日本の主張を宣伝しないで居住地に安住する傾向があるようだ。右翼でも左翼でもない、自分の頭で考える主義の私には理解できない日本になってきた。

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