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2019年10月

2019年10月25日 (金)

東京オリンピック:開催返上を!!

IOCはマラソンと競歩の会場を札幌に決定。理由は気温が高すぎるとか。

 

世界陸上でマラソンの途中棄権者が多かったことから、来年の東京の気温を考慮した、とある。そもそもスポーツ競技はどんな条件でも行われる。同じ条件が原則だ。気温が高ければそれに対応しなければならない。メキシコは2000m。高地訓練が行われた。気温が高ければゆっくり走ればよい。世界陸上はなぜあの地で、あの季節で行われたのか。当日の天候はその日にならなければわからない。選手が条件も考えずに走ったからだ。馬鹿なのだ。登山なら死んでもおかしくない。

 

来年8月の東京の気温が高いかどうかなど予測はできても今からわかるはずがない。巨大台風が来るかもしれない。北海道が大雨かもしれない。巨大地震があるかもしれない。プロ野球もラグビーも大雨になれば当日中止になる。その日にならなければ天候はわからない。高温多湿が予想されたらそれに対処するのが選手の力量だ。初めから飛び出して倒れたらその選手が馬鹿なのだ。

 

IOCの決定はそのまま受けるわけにはいかないだろう。そもそもオリンピックはすでに金まみれ、もはや健全なスポーツ大会ではない。東大合格は金次第、金メダルも金次第。貧乏国の金メダルはない。アマチュアスポーツの殿堂だったオリンピックはプロの参加する場となった。参加種目もだんだん増えて、一つの都市では開催できなくなった。もう日本では開催できなくなっていたのだ。今の規模で開催できるところは米国と中国くらいしかないだろう。それぞれのスポーツに世界大会がある。もうオリンピックなど必要ないのだ。みんなが集まるスポーツの祭典にしたかったら、うんどうかいにすればいい。このことはすでにブログに書いた気がする。

 

こんなオリンピックを東京に持ってきた責任はJOC,石原、猪瀬の両東京都知事の責任だ。

 

IOCが高温多湿が選手に与える影響を心配するくらいなら、そもそも東京での8月開催など決定するはずはない。お金の問題だ。スポンサーの問題だ。高温多湿より、台風や梅雨明けの豪雨の心配をしたらどうか。巨大台風が来たら中止するのか。

 

東日本大震災の復興、と銘打ってオリンピックを招致したJOCよ、今年の台風被害は東日本大震災よりも被害が大きい。もはや日本はオリンピックなどやっていられる環境にない。特に1次産業は壊滅である。安倍総理よ、東日本大震 のときは民主党政権だから災害が起きる、と批判していたのではなかったか。今、自民党政権だから大災害が頻繁に起きる、と言われたらどうするか。オリンピックなどやっている暇があるのか。

 

これは良いチャンスだ、オリンピック開催返上を提案せよ。今なら、アメリカが引き受けるか、分割開催が間に合うだろう。高温多湿よりも、台風や豪雨の確率のほうが高い。

 

小池知事の手腕に期待しよう。また出しゃばってきたシンキロウ君には引っ込んでもらおう。

 

 

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2019年10月13日 (日)

表現の不自由展:大浦信行氏に問う

朝日新聞のインタビュー(2019.10.12)に「天皇の肖像を焼いた」という作品を展示したとして記事が出ていた。私は見ていないが記事を読んで大浦氏に聞いてみたい。

 

表現にはいろいろな手段がある。文章で主張するのではなく、展示品で主張するには観る側にその主張が伝わらなければならない。大浦氏はこの作品で何を主張したいのか。質問に対する回答を読むと、天皇批判をする自由が欲しい。天皇問題はタブーではない。ということらしい。では、その天皇批判とは何か。天皇制批判か、それとも昭和天皇、平成天皇、など個人批判なのか。批判するなら肖像を焼く必要はないだろう。肖像を焼くというのは個人の抹殺である。人権問題でもある。天皇にも人権はある。「天皇問題はタブーではない」ということを主張するために、こんな方法しか思いつかないとしたら、自らの発想の貧弱性を恥じたらどうか。

 

私は天皇制批判派である。ブログなど文章で天皇制無用論は書くが、肖像を塗りつぶしたり焼いたりはしない。大浦氏は個人的に肖像を焼いてしまいたいほどのうらみがあるのか。それは芸術家として表現の不自由展に出品する資格(価値ではない)があるのか、という問題にもなる。

 

主催者は何の基準もなく、出品してきたものはすべて展示するのか。国家間で紛争のあるものも一方的に展示するのか。

 

例えば従軍慰安婦像など。では従軍慰安婦像と朝日新聞を一枚の絵にして、これを引き裂いた写真を出展してきたら、そのまま展示するのか。これらは例えば安倍総理の肖像を焼いたりする反日運動の韓国のデモと同じである。政治問題の一つの記事に過ぎない。何十年も後になって、その記事を作品にすることは自由だろう。これは庶民が殿様の悪口を絵にして街角に張り出すものとは違うのではないか。

 

公金を使って開催するのであれば、まじめな「表現の不自由展」ではなく「ユーモア展」として「従軍慰安婦像」には(でっちあげ)とかという題名をつけたものも別に出展してはどうだろう。ならば名古屋市長もOKするだろう??

 

勇気があったならば、「表現の不自由展」を中国やロシアで開催して、習近平やプーチンの肖像画を燃やした作品を展示してはどうだろう。主催者はこれでも展示するのか。

 

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず」と言ったという。彼にとっては天皇は人ではなかったのだ。戦後、昭和天皇は人間宣言をしたという。ならば天皇は必要ないのではないか、と言ったらみんなに怒られた。真に民主国家でありたいならば共和制が良いだろう。でも、英国は王様が居ても民主制は成り立っている。王様は生まれながらにして特権がある。これで民主制は成り立つのか。

 

民主主義が理解できない日本人、とこき下ろしている私の大好きな小室直樹は大の天皇好きである。なぜなんだ??。民主主義とはなにか。民主主義とは最高の政治形態か。

 

私の大好きな、今は亡き小室直樹、山本七平、等の書をもう一度引っ張り出して読んでみよう。

 

 

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2019年10月10日 (木)

国会改革は「答弁の棒読み禁止」から始めよう

国会が始まった。いつものように質問者もあらかじめ書いたものを棒読みしている。そして、答弁する閣僚も官僚の書いた答弁書を棒読みしている。高い給料をもらっている連中が棒読みすることしかできないのか。

 

これは質問者が詳しく質問内容を書くことになっているからだ。箇条書きでメモ程度の質問を渡せばいいではないか。その質問内容のメモにない質問をすると政府与党は約束が違う、と怒り出す。

 

具体的な数値などが必要ならば、後日回答してもいいではないか。

 

質問時間を制限し、質問内容も制限する。今や大正デモクラシーよりも政治は劣化している。政府与党、マスコミも、この弊害はどこに原因があるか、と問われれば、野党が政策についての質問をしないで、スキャンダルだけ取り上げるからだ、というだろう。なぜこうなったか。どんな質問をしても内閣は完了の書いてくれた回答を棒読みするだけで、肝心の質問には答えないからだ、いや答えられないからだ。答えになっていなくても、質問時間が過ぎた。ハイ採決!これではまともな質問ができない。野党が法案提出しても議題として取り上げないこともあった。

 

なぜこんなことが起きるか。大臣の資格もない人が大臣になるからだ。大臣の数を減らすために省庁の合併が行われたのではなかったか。今や逆に何人でも大臣を任命することができる。半分以上は答弁もできない大臣だ。あの進次郎君も答弁に慣れていないのか赤っ恥を掻いたではないか。つまり、最近の大臣は、国政に対して何も意見がないらしい。議員でない大臣は今やいない。適材適所など望むべくもない。

 

地方自治体でも同じである。わが地方自治体、市でも、市議会では質問と答弁はすべて棒読みである。話し言葉でないから聞いているほうが笑ってしまう。日本では政治家はいらないのではないか。AIに頼んでおけばいい。議員に給料を払う必要がなくなる。

 

山本七平や小室直樹など、党の昔に戦後の日本に民主主義はない、と喝破している。でも彼らは政治家ではない。その状況を本にして世の中に出すだけだ。では、どうすればよいか。

 

日本民族はもともと日本教、民主主義は不得手である。空気が決める。独裁者はいない。

 

でも、そんなことも言っていられない時代ではないか。一つずつ改善できないのか。

 

国会、地方議会では質問も答弁も棒読みはやめよう。自分の言葉で話をしよう。答弁に詰まったら回答は次の日に回そう。そうすれば勉強する時間ができるだろう。宴会の根回しの時間は少しなくなるが。

 

 

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