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2019年10月13日 (日)

表現の不自由展:大浦信行氏に問う

朝日新聞のインタビュー(2019.10.12)に「天皇の肖像を焼いた」という作品を展示したとして記事が出ていた。私は見ていないが記事を読んで大浦氏に聞いてみたい。

 

表現にはいろいろな手段がある。文章で主張するのではなく、展示品で主張するには観る側にその主張が伝わらなければならない。大浦氏はこの作品で何を主張したいのか。質問に対する回答を読むと、天皇批判をする自由が欲しい。天皇問題はタブーではない。ということらしい。では、その天皇批判とは何か。天皇制批判か、それとも昭和天皇、平成天皇、など個人批判なのか。批判するなら肖像を焼く必要はないだろう。肖像を焼くというのは個人の抹殺である。人権問題でもある。天皇にも人権はある。「天皇問題はタブーではない」ということを主張するために、こんな方法しか思いつかないとしたら、自らの発想の貧弱性を恥じたらどうか。

 

私は天皇制批判派である。ブログなど文章で天皇制無用論は書くが、肖像を塗りつぶしたり焼いたりはしない。大浦氏は個人的に肖像を焼いてしまいたいほどのうらみがあるのか。それは芸術家として表現の不自由展に出品する資格(価値ではない)があるのか、という問題にもなる。

 

主催者は何の基準もなく、出品してきたものはすべて展示するのか。国家間で紛争のあるものも一方的に展示するのか。

 

例えば従軍慰安婦像など。では従軍慰安婦像と朝日新聞を一枚の絵にして、これを引き裂いた写真を出展してきたら、そのまま展示するのか。これらは例えば安倍総理の肖像を焼いたりする反日運動の韓国のデモと同じである。政治問題の一つの記事に過ぎない。何十年も後になって、その記事を作品にすることは自由だろう。これは庶民が殿様の悪口を絵にして街角に張り出すものとは違うのではないか。

 

公金を使って開催するのであれば、まじめな「表現の不自由展」ではなく「ユーモア展」として「従軍慰安婦像」には(でっちあげ)とかという題名をつけたものも別に出展してはどうだろう。ならば名古屋市長もOKするだろう??

 

勇気があったならば、「表現の不自由展」を中国やロシアで開催して、習近平やプーチンの肖像画を燃やした作品を展示してはどうだろう。主催者はこれでも展示するのか。

 

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず」と言ったという。彼にとっては天皇は人ではなかったのだ。戦後、昭和天皇は人間宣言をしたという。ならば天皇は必要ないのではないか、と言ったらみんなに怒られた。真に民主国家でありたいならば共和制が良いだろう。でも、英国は王様が居ても民主制は成り立っている。王様は生まれながらにして特権がある。これで民主制は成り立つのか。

 

民主主義が理解できない日本人、とこき下ろしている私の大好きな小室直樹は大の天皇好きである。なぜなんだ??。民主主義とはなにか。民主主義とは最高の政治形態か。

 

私の大好きな、今は亡き小室直樹、山本七平、等の書をもう一度引っ張り出して読んでみよう。

 

 

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